無錫市郊外で行われた錫山宛山湖マラソンにみつくん・いもちゅ夫婦で参加しました。
運営も景色も良く、天気にも恵まれ、大会自体は非常によかったです。が、
中国陸連公認のハズなのに陸連HPに載ってないってどーゆーこと?笑
これは公認記録になるのでしょうか。教えてエライ人ww
2023年11月12日 フル🐴 7:30スタート
気温8~11℃、湿度60%、曇り
累計標高差175m、最大標高差40m
みつくんは先週の光明ハーフに続き2週連続の大会です!すごい!かっこいい!
発端は、6月末に、いもちゅが今シーズンPB取るぞとヤル気になったことです。
(19年末にサブ4して以来、コロナだし大会ないし、残りの🐴人生ファンランでいいわとオワタ宣言していました。おいw)
理由は
1.23年2月の横琴🐴、みつくんにPBで12秒負けた。かつ「いもちゃんは、僕を抜いていってね😎ニヤリ」と突然の上から発言!リコンの危機!
2.23年4月アモイ🐴、ラスト2キロ無理すぎてサブ4を1分逃す。悔しい悔しい。走った距離は裏切らない😂
3.サブ4記録が旧姓パスポート時のもの。その後の大会エントリーで記録提出の度に同一人物証明するのがメンドー。
4.旧パスポート時に、某フル🐴で、勝手に前ブロックからスタート→違反者リストにw
旧パスポートでは多分、出禁?現パスポート記録だと後ろブロックに回される。
5.推しに認められたい ← 一番大事😍推し活中(*ノωノ)キャ♡♡
いろいろなくだらないモウソウを抱えて、7月から最低50キロ/週と決めました。
すると、みつくんが僕も僕も―とマネしてきたので、こっそり60~70キロに変更しました。
4か月間、みんなと練習しながら頑張りました。
灼熱の中、塘朗山も南山も蓮華山も坂ダッシュしました。
いつもの川沿いも、日本に1ヶ月帰国中も、1人インターバルを繰り返しました。
地元の山の往復ランも4回しました。(26キロ、高低300m、1日2回登った日も!)
12月10日の広州🐴をガチレースと決め、結構、一生懸命な中でのペース走練習の位置づけで、
テキトーに申し込んだのがこの大会でした。おいw
出るからには頑張るけども、10月に入り、国慶節の旅行でリズム崩すわ、ある事情で緊急帰国するわ、11月は歯髄炎で1週間走れないわ(2回目の緊急帰国)、事件が重なり、ピーキングには失敗していました。
よって、上海にいる猛走会OB(じゅん・くぐ)に会えるし、まあいっかーと、ゆるゆるな気持ちになっていました。
でも悪あがきに、大会3日前からモルテンと経口補水液でカーボ&ウォーターローディング、1週間以上のアルコール&カフェイン抜きはしておきましたw
結果、、、、
大当たり!+天候に恵まれた!
PB出たよー!
ゆるゆるで参加すると、いろいろ試せてよかったです。
今後のレースでは、↑とカフェイン摂取@30キロでいきます!
ん?レースの感想??
それは日頃の練習の結果でしかないので、特に書くことはありません。
強いて言うなら、
初めて、ゴールまで1歩も歩かず走った。
初めて、黄金のタレをキロ10~15秒程度に防げた。
この2つが嬉しかったです。
走った距離は裏切らない嬉!
最後に、、この4か月間で気付いたことがあります。
アノネ………
女子はネ、、
その1秒を削りだせ!!
では、がんばれません。
女子はネ、、
不純な動機❣️
でしか、がんばれません!!!!
いもちゅ、絶賛推し活中 ← 一番大事(*/ω\*)キャ♡
この夫婦、3年経っても目標きれてないからチョーシにのるなヨ
⬆️までいもちゅ執筆
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それでは、ここからみつ君がレースの内容を中心に文字数多で書きますね。
実は今回なんだかんだで、金曜日夜のフライトで会場近くのホテルに宿泊する気合いの入れようでした。
かなり天候が良い事(気温10℃終始曇り)が天気予報から想像していました。
本物のマラソンレースみたいじゃないか!と実はワクワク☺️していたのです。
コース自体も意外と平坦むしろ、やや下り基調かなと感じる程の条件が揃ってしまったので、なんだか更にやる気が出て来てしまったようです。
レース前日は、ランナーズパックを受け取った後、奥様が地元無錫の料理が食べたいとの事で、お昼は近くのローカルチェーンに一緒にGo。小籠包系が有名だとの事でしたが、その味付けにみつ君は、見事にピヨって🐥🐥しまいました。(ピヨみつかわゆす︎💕︎byいもちゅ)
どの料理もかなり甘く味付けしている醤油ベースが基本で、一口毎にガツンと甘味が攻めてくるTYPEの方々でして、ワタクシにはちょっとレベルが高いなと感じた次第です。
結果、夕飯は7キロ先のすき家から牛丼をワイマイする安牌を選んで翌日の3時30分起床に向けて、20時前には就寝しました。
今までサブ3.5に向けて練習はしていましたが、私は10月からは全く練習を積めておらず、今回はサブ3.75を目標にして走ると決めました。
持参したマッキーで自分にしか分からない謎の数字の羅列を手の甲に書いてレースを想像しながら、本番に挑みました。
今回で、3回目のフルマラソンにつき実はちょっとした作戦を考えて挑んだレースでした。
25キロまではキロ5で、押すと決めていたので同じペースで走っている人をみつけて、その後ろにくっ付いて走ってみよという作戦です。
案の定、キロ5で走る事を設定しているランナーは多く、2キロぐらいから22キロぐらいまでは、給水所で少しバラけても他の同じペースの人が直ぐに見つかる様な状態で走る事が出来ました。
初めて人の後ろに付いて走ってみましたが、前の人との間隔を意識するだけでペースが維持出来るのは非常に楽だなと、感じました。
次回以降もこの作戦使ってみようかしら。
25キロが近づくにつれ、左脚のふくらはぎさんが疲労の自己主張を始められまして、日本で買って来てもらったコムレケアを注入しなんとかその場はストライキを回避する事が出来ました。
結果、25キロ時点ではガーミン先生曰く2時間5分20秒となり20秒オーバーしてしまっていますが、まずまずのタイムで通過出来ました。
32キロ付近になると、本格的に疲労が出て来て右脚のハムスト、右脚の足の裏、左脚のふくらはぎが同時多発テロを起こし、強行なストライキを始めてしまいました。
そこで、今回唯一の徒歩運行を15秒程行ってしまったのが、悔やまれる点です。
実は私も全行程を歩かず走り切る事を目標の一つにしていましたが、走り切った嫁さんの方が一枚上手でした。さすがあきちゃんちゅ😘です。可愛いし😍尊敬します。
今まであれば、一回止まってしまうと、走る→歩く→走る→歩くの繰り返しになっしまっていましたが、今回の彼らは一味違っていました。まだまだ、走り続けられると強めに自己申告してくるではありませんか。
今年の夏、7月8月9月は例年の1.5倍の走り込みをした結果でしょうか、その後は何とか最後まで走り切る事が出来ました。
ただ、身体が常に色々な場所が悲鳴を上げている状態で10キロ近くを走りますので、も〜ペース維持もへったくれもありません。
無理矢理キロ6を超えない様に騙し騙し走り続けていました。最終的にはキロ6を4キロほど超えてしまいましたが、ギリギリ及第点かなと。
そんな疲労困憊いっぱい状態で走っていると、後ろから来る中国人ランナーさん(MENS)に声を掛けて貰いました。
『お前が着ているランシャツの国旗柄カッコいいな!気に入ったぜ!コレをやるよ!』とミニトマト🍅✨を頂きました。
私も『中国の事が好きだから!』と、応えると嬉しそな笑顔と共に颯爽と抜いて行かれました。
疲れた身体とココロに沁みる酸味と甘味に癒され、また元気を取り戻せたと思います。
このレースのゴール地点は1キロ近く手前から直線になっていて、ゴールが遠くに見える為最後のチカラを振り絞って私もペースを上げてゴールしました。
結果は3時間46分10秒と私もPBを7分程更新することが出来ました。
私がゴールして20秒後に嫁さんに後ろから『みつ君、意外と遅いねー!』と言いながらゴールしてくるではありませんか。最終的に本当に近くを走っていたんですね。ゴール後直ぐに合流出来て良かったです。
私は翌日に、日本からの来客対応の為、ジュンさんとの楽しい空港コンビニ飲み🍺の後、直ぐにフライト✈️して広州経由で東莞石龍に戻りました。
翌日の夜は、日本からお客さんの接待で石龍のカラオケに行きましたが、身体全身が痛くおじいちゃん👴の様になってしまい、カラオケ嬢の皆さんから『おじいちゃん足元、気を付けて。大丈夫?www』と可愛がって頂きました。
本格的なレースシーズンに入って来ましたので、これからも全力で楽しもうと強く感じたレースでした。